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カリッと始まり、カルチャーへ。トレーダー・ジョーズ最初のプライベートブランド : Part 1

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「カリッと始まり、カルチャーへ。トレーダー・ジョーズ最初のプライベートブランド」


今日、東京のクライアント向けに新しい食品開発の仕事をしていたとき、ふとトレーダー・ジョーズのウェブサイトを見ていたら、インタラクティブなウィジェットがポップアップして、こんな質問が表示されました。


True or False?
1972年、トレーダー・ジョーズ最初のプライベートブランド商品は「パンティストッキング」である。
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長年の“トレジョ信者”として、もちろん即座に「False(間違い)」をクリック。

なぜなら、頭の中にはあのオレンジ色の「カントリー・パンプキン・スパイス・グラノーラ」のパッケージが、まるでクリスマスのシュガープラムのように踊っていたからです。


するとウィジェットが動き出し、「よくできました!」と褒めてくれましたが、同時にこうも教えてくれました。

もし「True(正しい)」を選んでいたとしても、実はトレーダー・ジョーズでは約4年間、プライベートブランドのパンティストッキングを本当に販売していたのだと。


正解!
FALSE(間違い)です。
1972年、最初のプライベートブランド商品は「グラノーラ」でした。
(ただし、1973〜1977年頃までは本当にパンティストッキングを販売していました。)


過去に自分が作った「Innovation Secrets of Trader Joe’s(トレーダー・ジョーズのイノベーションの秘密)」という2018年のプレゼン資料を見返してみると、なぜ最初のプライベートブランドとしてグラノーラが選ばれたのか、その理由がはっきりと書かれていました。


グラノーラは単なる朝食ではなく、3つの文化的・戦略的要素が交差する象徴的な商品だったのです。


① 1960〜70年代に広がった「ナチュラルフードムーブメント」の台頭

② 「プライベートブランド」を戦略的ビジネスの柱とする新しい考え方

③ 創業者ジョー・クロンボによるターゲット設定「高学歴で低所得な消費者層」


ナチュラルフードムーブメントが広がる中、グラノーラは「健康食品」や「自然回帰」の象徴としてカリフォルニアから全米に広まりました。

トレーダー・ジョーズの創業者ジョー・クロンボは、戦後の「便利さ重視」時代から脱却しようとする中間層・知的層の動きを読み取り、加工食品を避け、穀物・ナッツ・自然素材を求める新しい価値観にいち早く対応したのです。


その象徴として、グラノーラはまさに完璧な選択肢でした。

このカテゴリーは後に「グラノーラ系」と呼ばれる新しいライフスタイル層の代名詞にまでなりました。


同時に、「プライベートブランド」という概念が利益率・顧客ロイヤリティ・ブランド価値を同時に高める戦略的手法として注目され始めた時期でもありました。

クロンボは小売業界の中でもいち早くその可能性を見抜き、「高品質な商品を低価格で」「他店では買えない独自ブランド」を打ち出すことで、トレーダー・ジョーズを差別化しようとしました。


グラノーラはその実験として理想的でした。

製造とパッケージが簡単で、コストが低く、付加価値が高く、しかもストーリー性がある。

つまり、リスクが少なくブランドの理念を体現できる完璧なスタート商品だったのです。


そして何よりもクロンボの天才的な洞察は、「教育を受けた消費者」というターゲットを明確に設定した点にありました。

彼はこう語っています。


「トレーダー・ジョーズは“高学歴で低所得な人々”のためにある。」

教師、ジャーナリスト、大学院生、知的で好奇心旺盛な人々に向けて、グラノーラはまさにぴったりの商品でした。栄養価が高く、自然で、そしてどこか主流文化に対する“少しの反逆”を感じさせる存在。


つまり、トレーダー・ジョーズのグラノーラ(後の「カントリー・パンプキン・スパイス・グラノーラ」)は、新しいカリフォルニアの健康志向を象徴し、製造も容易で、そして何よりトレーダー・ジョーズというブランドを「知的で、好奇心にあふれ、品質を大切にする人々のための店」として定義づけるきっかけとなったのです。


しかし、グラノーラは単なる第一号商品ではありませんでした。それは後に築かれるトレーダー・ジョーズのプライベートブランド帝国の設計図そのものだったのです。

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次回の Part 2 では、1972年の「カントリー・パンプキン・スパイス・グラノーラ」から始まったトレーダー・ジョーズが、いかにしてプライベートブランドマーケティングの“金字塔”となったのかを探っていきます。

 
 
 

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